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那須次郎とアンプを語ろう

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KH6投稿者: 米塚廣雄 投稿日:2008/02/11(Mon) 10:15 No.991  
驚きです。 

誰でもそれまでに得た知識、経験から先入観というものを持ちます。
教養、知性、財力、地位、政治的バックがある那須さんが米国本土へ行ったことが無いなんて今まで思ってもいませんでした。 まさかーーーの一言です。

私が無線を始めた頃はAMP、ANT,DX、アマチュア無線の先進国として米国は存在しました〔多分今でも〕そして次郎さんはそれらの解説とかを書いておられたので、てっきり著者に会ったり、現物を見ているものだ、との先入観が私に有りました。
ですからW6-36elおじさんを訪ねたとき「Towerの件で次郎と話した。」と私の目の前で彼は話す訳ですから・・次郎さんもその様な状態(すなわちW6のこの田舎へ来て)彼とサシで話をした、と〔勝手に〕ずっと思い込んでいました。 また彼のような老人になりたい・・とも書かれていたので、会ったこと無い人にそう思うのか?と驚嘆しました。 まー伝記上の人物ならいざ知らず・・イヤ彼も著書多数という事ですから伝記上の人物にこれから成るでしょうね。

私のhpのEye Ball QSOで彼を紹介していないのはJAでは次郎さんが思うほど有名ではないので(と、思っていた)紹介しませんでした。それより彼がANTを設計、OPをしたW6AMの方が遥かに有名で、私も同じ町内のパロスバーデスに住んでいたので(JA1CB紹介 の欄で触れている。)また、今やもう存在しないANTなので、そちらの紹介が先になってしまいました。
処で次郎さんはその当時そして今でも日本では見られないアマチュア無線用ロンビックのW6AM (2番目に大きいロンビックはあのGUSですが・・「こういうときはCallを出して良いのですか?」)を見たいと思ったことは無いのでしょうか? 貴方が見たかったのは大きなAMPだけでしょうか? そのロンビックも、いまやもう見られなくなってしまいました。 JA1DXXXX・OMに「リタイヤしてWのSuper局を見たいと思ったときは多くのOMはサイレントキー、米塚さんは本当に良い時代にWへ行きましたね。」と言われました。
その時の私の目的はF12社(この様に会社名、商品名は出しても良いのですか? NHKみたいにXX関係との表現が良いのですか? 出すとオーナーの個人名が特定されますが?)の2回目の訪問(hpへ掲載済み)があったのでそこから70km位の彼と連絡を取りました。SFO-LAXの中間より南というところの田舎町です。 またその様な人里はなれた田舎な処だからこそ殺人教唆罪人の刑務所があるのです。
次郎さんの興味がAMPなのかDXingなのかで W9DNV (Dではありません、個人を特定されないようにワザと1文字変えたのですか? Ux2です。)の別荘を訪ねる価値?興味が違っただろうな・・と思ったのです。 Pediの寄付集めをJAで行った、次郎OMは果たしてもらう側に居て詐欺的行為に疑いがもたれていながら今なお日本で人気の彼を有名OH局みたいに果たして訪ねたのだろうか?? 彼の価値をDX pediに詳しい次郎OMはどう判断したのだろう?との疑問がずっと私の心の中にはあったのです。


何故なら、日本最大のお皿からEME電波を出したい、とある日突然思うわけではないでしょうから・・その前のHFでやはりある意味でのアマチュア無線最大のANT見てその持ち主に会ってみたいと、思わなかったのか? ・・とW6-36elおじさんを熱っぽく語る次郎さんの話から感じました。
W9のドンでもない人投稿者: 米塚廣雄 投稿日:2008/02/10(Sun) 16:36 No.987  
こんにちは、借家に電話がありませんので7kmくらいは離れたアユタヤの町へ来てInternet cafeで送っています、 多分200Kくらいです。 まともにQSOできるときが少なくて時間と、ガソリンをロスります。 日曜なので午前3時と午後2時に来ています。

んん何かどこまで名前をだして良いのか良く基準がわかりません。管理者の判断しだいでしょいうか?

さてW6KXXXXの件ですが、私は両方のQTHへ行きました、 XYLにも会っています。 押しかけていたのではなく(それは相手が決めること)カリブでパイルを捌いているとき彼が呼んで来て、「あれ!あんたはあの36elのおじさんではないの?」から会話がはじまりました。 今度W6OATからN6AAのところまでSFO-LAXを車で移動する途中F12の工場を訪ねる、と話したら「では家へ寄れ」と成ったのです。

彼は那須さんがクランプアップタワー欲しいとの事で・・・こんなのを・・と目の前で図面を書いてくれました、実はその図面お土産にJH3DPBへ上げました。 ZOH でこれを建てたら。。とね。

ハイ、例の有名なW9ドンでもないDXer のいた別荘の近くに住んでいます、OH2XXXXXさんが別荘に行く前と訪問後に彼の家に寄りますが、その時の話が最高に面白いのです。 でもここでは言えません、JA−DXerから石がとんでくるでしょう。  なぜなら私がVP2VI をカリブに訪ねたのはそのW9のおじさんのDXpediがインチキとの話になり、最後はARRL-DXCCで彼を査問正しい表現を知りません。)します。 地図に無い島からQRVしたことを、VP2VI などにどう説明したのか? 興味が59+++ほどありましたから・・DXのPediの実際の実行者の行動と論理の重箱の隅を見たくなたの出カリブまで行きました。 彼の反論を知りたくなったからです。

そんな訳でその近辺の話は少し調べました、そしてWのDXer何人にも直接聞きましたがJAの様にW9のおじさんに憧れる人が居ないのはJAと対照的でした。 情けの日本、論理のアメリカを感じました。

そうか、那須さんは彼の家へ行ったことが無いのか? 面白かったのは壁にW6XXXXXが W6AMの一員として1949年頃? WW Contestに参加した時の賞状がありました。 それとW6AMのロンビックは彼が設計したとその時始めて知りました。
なお彼はあの飛ばない飛行艇で有名なハワードヒューズ社の社員第一号だそうですがこれはご存知ですよね。

 イアや 世間は狭い・・・ ああは 私今アユタヤでそのオオバカヤシ組の現場で電気工事の監督をやっています。

 ここタイでは殺されないでしょうが、例のS嬢の時代は・・殺されると思った事は2度ほどあります。 私のhpにPDFで上げてありますが血の土曜日の時代です。 その後選挙はありましたがラナリットとフンセンが打ち合いを初めました、米国はクデターと非難します、のでS嬢は米国大使館AsiaAID課勤務でしたのと、ラナリット派でしたのでフンセン派に狙われて(当時ドサクサにまぎれて政敵を粛清していて、S嬢は「今日は何人殺された。」と言っていました。 結局彼女はVK大使館勤務の友人YLとともにVKへ亡命します。 友人はその後帰りましたが彼女はVKに行ったままです。

●ではXUSSはDUからUSAへ行ったと聞きましたがその後は???

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Re: W9のドンでもない人投稿者: 那須次郎 投稿日:2008/02/11(Mon) 03:09 No.989  

この掲示板はけっこう重いので、カフェですんなり表示できれば優秀な回線かと思いますね。

時代的に私は Don Millerの時代のDXはほぼ知りません。近所の高校生が午後早く帰宅して、GusだのDonのDXぺディと交信して得たカードを自慢しているのは見ていますが、少なくともDonとは、自分では一度も交信経験なしです。したがって、残念ながら彼の伝説に対しては、コメントのしようもない、といった状態です。

sk-JH3DPBさんは生前しばしばカリフォルニアにいらしていたので、フランクのところにもまだ例の大型アレーがあるときに訪問されています。そのときのアンテナの写真をいただきました。

しかしさすがの茶畑でも、60mの回る自立鉄塔はちょっとネ、大変でしょう。アメリカでも表彰もの、のようですから。
知り合いの土木工事業者の試算によれば(私も少ししスケベ心があったので聞いてみたのですが)、建築許可から基礎工事と建設までに最低でも¥2k万くらい、とのことでした。カリフォルニアからの輸送費だけでも¥4,5百万はかかるでしょう・・・

W6AMのロンビックアンテナ設計の件、それは知りませんでした。Donが亡くなったあとだったか生前だったか、伝記の出版がありましたが、そんなことが書いてあったのだろうか? 記憶にありませんが。
フランクは器用な技術屋で、資格を13持っているとか。太い丸太を組み上げて(長い1本ものだったという証言もある)、あちこちに向けて張った2線式ロンビック(ほかに1線式もあったのかもしれませんが)のアンテナファームを上手に設計していたとしても不思議ではないですね。

ヒューズの飛ばない?飛行艇の話をフランクは今執筆しているそうです。なんでも大きさがかなり(100m単位で)あるものだったようですから、飛ばすといったってそう簡単ではないでしょう。戦艦大和に翼を付けてやるようなものです。

たとえば鳥の躯体の形状が同じだとすると、大きさが2倍の場合、体重は8倍ですから、飛行艇だって大きいのは重くて飛ばすのは大変でしょうね。

>電気工事の監督をやっています。
> 彼女はVKに行ったままです。
ともにナットクです。

XU1SSにいたオペレータのうち、最後にアクティブだった男性Setsさん?だったか、彼は渡米したと聞いています。W7から?オンエアしたとの情報があったかと思います。カンボジアから交信していたUSのアマチュアが留学のための身元引き受け人になったのかもしれません。

最初のころのCWが上手なVannはその後も、国会議員となられた(野党の党首だった)故ソン・サンのオフィスで働いていたようで、プノンペンから出ていたのを聞きました。ディエン・デル将軍の秘書をしていた女性OpのKimsanは、その後どうなさったかは知りません。日本に亡命し支援活動をしていた元軍人Meas(東京DXコンベンションで挨拶した)は帰国後、やはりソン・サンの党(仏教自由党)から国会議員になられましたが、その後、内部の混乱に抗議して(現在の祖国の繁栄を見ることなく)国会内でピストル自殺されました。

カンボジアは米塚さんの第2の故郷のようなところでしょうから、戻られたらまた報告してください。
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このプログラムは KENT 氏の yybbs を xoops(PHP) に移植したものです
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