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那須次郎とアンプを語ろう

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W6+++ 近くの別荘
投稿者: 米塚廣雄 投稿日:2008/02/10(Sun) 05:19 No.983
 
コールも全て伏字ですか?

ところで例の14Mhz 36el YagiのW6+++を貴方が訪ねたとき、彼の家の近くの W9+++ DONNNNNN が居る別荘を訪ねましたか?

彼に憧れた一人OH2++++は訪ねたそうですが、JAでも彼に憧れたDXer OMは多いので,貴方もTowerの話とは別にその別荘を訪ねたのかな? と彼に聞き漏らしましたのでずっと気になっていました。



Re: W6+++ 近くの別荘
投稿者: 那須次郎 投稿日:2008/02/10(Sun) 12:31 No.984
 

> コールも全て伏字ですか?
別に全てに限る必要もないのでしょうけれど、不要な個人コールは書きません。それにこの掲示板はどなたにも公にされていますので、個々人のうわさ、個人的な事項について、本人の同意なしにナニやら書くのは、私のポリシーではない、ということです。

掲示板の管理者のひとりとしての責任もあります。

さて、面白そうな昔ばなしがでてきました。

> ところで例の14Mhz 36el YagiのW6+++を貴方が訪ねたとき、
・・残念ながら、私は合衆国本土に行ったことがありません!
ハワイには、一度だけバケーションに行ったことがありますが。
米塚さんが訪問されたことは、先方からお聞きしました。

> 彼に憧れた一人OH2++++は訪ねたそうですが、JAでも彼に憧れたDXer OMは多いので
・・たしかに、戦後の進駐軍とか、その後の彼氏のような海外のDXサーは、多くの日本人ハムの憧れでした。

別に伏字にする内容ではないと思いますから、書きますが、

OH2BHは、かつてW6KPCおよびOH??(大学の先生)らとともに、多エレメント八木アレー合成切り替え方式のアンテナを使用して、HF帯の理想的伝播についての実験をしていたことがあります。

OH2BHマルティは皆様ご存知の世界的な有名DXサー、フィンランドの回るタワーでも有名ですが、これを製造していたのは(たしか?) OH8OSというOMではなかったか、と記憶しています。
ヨーロッパの多くの大型アンテナの回転式タワーは、彼の手によるもので、ドブ付け亜鉛めっきのワン・セクションが5,6mある、5cmくらいの太いパイプを溶接して組んだ立派なタワーのようです(写真しか見たことがない)。

W6KPCフランクは Tri-Ex タワーの創始者で、そのころ、14メガのKLM・6エレを2列2段、そのあと2列3段に組み合わせて高さ60mの自立回転式タワー(送電線の鉄塔のような自社製・業務用タワーに全長30mのTri-Ex Sky-needleを載せたもの、Sky-needle全体が回転する構造)に載せていました。

21メガも、KLM・6エレの2列2段の水平アレーを同様に36mタワーで回していました。スタックブームは太いファイバーグラス、同軸ケーブルは RG-17/U でした。
この2本のタワーを、ヴァイザリアの広大なアーモンド農園に立てて、数百mの同軸でつなでいたそうです。ご本人は、razar beam と呼んでいて、ご満悦でした。
送信装置はタワーの根元の小屋にあり、パワーも大きかったので、どちらのバンドでも信号はものすごい強さで入感したものです。

OHの大学の先生も、6エレ?数段重ねで挑んだのではないでしょうか、しかしその詳細は知りません。
そのころの 米国 Ham Radio誌に記事があったかと思いますが、記憶がはっきりしません。

1970年代なかば頃のことでしたので、現在の技術であればもっとうまくいったのだろうと思いますが、アマチュアライクで、プリミティブな実験でした。(しかし興味深いもの、でもあります。)
信号のピークをひろって、どの高さのアレーの組み合わせが良いか、双方のアンテナで、真空同軸リレーで同軸を切り替えて数秒ずつサンプリングして、瞬時にコンピューターでベストマッチを選択するわけです。

しかし、HFのフェーディングの大きさ、不規則性、位相のばらつき、それと時間的なサンプリングやデータ処理の問題もあるのかと思いますが、学術的に価値のある決定的な良いデータはまとめられなかった、と上記のおふたりから、それぞれ聞いたことがあります。

不幸なことに、大学でその業績を認められなかったOHの先生は、
自暴自棄に走って、実験で得られたすべてのデータを破棄し、ご自分のアンテナのステーを自ら切断して倒壊させてしまった、と聞きました。かなしい出来事です・・・

リタイアしたフランクは Tri-Ex社を売却、ヴァイザリアのアーモンド農場のシャックも引き払って、現在は40歳くらい年下の韓国アメリカンの妻と Freson に住んでいます。年齢は、82.5歳くらい。非常に筆まめな方です。
ときどき14メガや21メガで、「最近購入した KWM-380で」元気な声でオンエアしています。

フランクのような「素敵なお年寄り」ならば、なってもいいな、と私は思います。なんとなく気持ちが通うのは、彼にチェロキーインディアンの血が流れているからでしょうか? 彼の祖先のだれかは4000年前はアジア大陸にいた、というわけです。
今、2冊目の自伝的著作を執筆している、と暮れに(emailで!)たよりをもらいました。

さて、本題の、ここから先のことは私には判らないことなのですが、

もしや(仮?)釈放された Don Miller W9DNVが、フランクのお近くにお住まいなのでしょうか? ・・知りませんでしたが。

ドンは、マルティにとっては憧れのDXペディショナーであり、彼自身「将来はドンのような、立派なDXペディショナーになりたいと思った」、と自分の著書に書いていますから、もし近くに行ったのだとしたら、当然、訪問していることでしょう。

マルティが次のDXペディの話をするときと、ドンの思い出を語るときは、あの巨体を乗り出して、貧乏ゆすりが止まりません!

それと、もし誰か日本人がドンを訪問しているとすれば、それはもう、ドンの救済に手をお尽くしになっていた鈴木さんや相馬さん、あるいは溝口さんあたりに違いない、と私は解釈しますが、いかがでしょうか。



Re: W6+++ 近くの別荘
投稿者: 那須次郎 投稿日:2008/02/10(Sun) 15:21 No.986
 

> ヴァイザリアのアーモンド農場のシャックも引き払って
>Freson に住んでいます

少し違ったかもしれません。フランクは、現在はベイカーズフィールドに住んでいます。

かつてのアンテナファームがあったのがフレズノか、ヴァイザリアあたりと思いますが、私は行ったことがないので土地勘がほとんどありません。いずれにしても毎年DXコンヴェンションがおこなわれているカリフォルニア盆地の同じ地域でしょうから、そうたいした違いではないのかもしれませんが。

RCAからこういう大きなアレーを製作した業績などで表彰を受けています。↓

http://www.arrl.org/?artid=7008  

http://www.gm6nx.com/bbs/showthread.php?t=33160 

年齢も間違えました、92.5歳です。
JARLの原会長の10歳年上ということになりますね。

米塚さんが押しかけていらっしゃった、Frank Clement W6KPCという おじいさんは、いずれにしましてもアメリカのアマチュア無線界を代表する人物のひとりだということです。


危険が危ない!
投稿者: 米塚廣雄 投稿日:2008/02/10(Sun) 05:09 No.982
 
おはようございます。

久しぶりですね、 私のhp見ているのですか? AMPとは関係ないですが・・ただそのAMPを使ってQSOしたいと皆さんが思うようなところから時々QRVしています。

 hpの内容が危ないのではなく、名誉毀損だと思う方も居るでしょう。 よくOMが JD==等の会報に「名誉毀損で訴えるぞ!」と書いて有ったのをみましたので、私はあれだけ書いても何故裁判を起こしてこないのか? 沈黙は暗黙の了解と思われてしまうので・・・何とも不思議でなりません。危ないのではなく告訴されるのを百も承知ということです、そして法廷で貴方(原告)の意見と証拠を明らかに・・が私の基本ですから。



Re: 危険が危ない!
投稿者: 那須次郎 投稿日:2008/02/10(Sun) 13:18 No.985
 

> 私のhp見ているのですか?

あのあと、夜中までじっくり拝見しました。デカイ文字で書いてあったところに最初目が行ってしまったので、キケンがアブナイ、を書いたわけです。・・ヂゲ鍋、みたいなものですか。ヂゲは鍋という意味だ、と聞きました。

さて、あの懐かしいSokunの写真も拝見しました。といっても私はお会いしたことはありません。国際電話で10回くらい?話をしたことがあります。あのあと彼女が日本大使館にお勤めだったころです。
電話番、兼・受付嬢、兼・通訳としてご活躍でした。英語、ロシア語、フランス語ができたかどうか知りませんが、できても不思議ではないお方ですね。頭の回転が早くて、こいつは只者じゃないなぁ、と思ったしだい。
しかし、さっさと日本大使館をお辞めになって、その次はアメリカ大使館に就職された、と聞き、ああSokunらしいな、と関心しましたが・・・今はどうなさっていることでしょう。

珠玉の米塚エッセイ集のなかに登場する、カンボジアの日本ブリッジ、懐かしい写真ですね。その後、大林組だったかと思いますが、日本の援助で数年後には再建されました。
橋の向こう側は、内戦のあとも長くポルポト派が支配していた地域で、国土の復興にはあの橋の再建が不可欠でした。1993年でしょうか、私は工事中に訪問したことがあります。

ご案内いただいた日本人現場監督さんに、破断した橋の先端まで連れて行ってもらいました。
「橋の真ん中部分60mくらいは大阪のドックで製作して、船で引っ張ってくるんですよ〜。すごいでしょ?川の水かさが8mくらい増える雨季にねぇ・・」と、説明を受けました。
この国の将来を見つめながら、こんな不便なところで単身赴任していても、とてもやりがいのある仕事をなさっているという自負をお持ちの方なのだな、と感じました。

ちょうど夕闇迫る時刻で、橋の手前のプノンペン市内はUNTAC(国連軍の駐在活動)が行なわれていたときで大変な活況でしたが、川幅80mくらい?あるトンレサップ川をはさんで橋の向こう側に広がる広大な漆黒のジャングル、これは見事な真っ暗闇で、人間は住んでいるはずなのに灯りひとつ見えない闇でした。

この破壊された橋をはさんで、この国の将来と過去がみごとに現れたような光景で、今も夜の真っ暗闇を見ると思い出します。

あのあと日本ブリッジが再建される前に、あのとき案内してくださった現場監督さんは、カンボジア人労働者の暴動で射殺された、と聞いて心が痛みました。


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